何をトチ狂ったのか年末のクソ忙しい時期に高校の卒業アルバムを探している。キャスター付きのカラーボックスの合間を縫い、恐らくここにあるだろうと見当をつけた引き出しのほんの僅かな隙間から文字通り引っ張り出してきてしまった。
 もちろん何の目的もないわけじゃない。不思議な事だが、高校の同級生と卒業してから交流をするようになった。共通の友人を通して時々オンラインゲームをする、顔も知らない同級生たちだ。今度ゲーム仲間みんなで飲みに行こうという話になったので顔だけ確認したかった。
 私の記憶が確かなら個人写真の前髪が割れていて、一生残るものなんだから教えてくれたっていいじゃないかと絶対に気付いていたはずの不親切なカメラマンに一通りの悪態を(もちろん心の中で)ついて、それから封印した。そういう髪型だと思ったのか?んなわけあるか、世の高校生がどれほど前髪に命をかけていると思っているんだ。
 そういうわけで卒業アルバムは6年の月日を経てようやく開かれることになる。写真に映るのは陽キャの文化だと思っていたから私の写真は少ないはずだ。アルバムの中で一番多くのページが割かれる修学旅行だって、行きの電車の中から既に憂鬱でしかめっ面をしていたと思う。3年間を通していい思い出がない。思い返せる思い出がないという方が正しいのかもしれない。
 探している人たちが何組なのかも知らないので面倒だけど最初から見ていくしかない。母校は地元じゃそこそこのマンモス校で8クラスもあった。一学年340人程度だったはずだから骨の折れる作業になる。クラスぐらい聞いておけばよかった。1組から順に見ていくが、ほとんどが顔も名前も知らない人ばかりだ。受験時は色んな人と関われるから人数は多い方がいいと思っていたが、自分の社交性のなさを甘くみすぎている。結局同じクラスの人間とも薄っすらとしか交流しないのだから。別にそれでよかったとは思うが、ほんの少しもったいなかったとも思う。340人もいたら仕方ないが、3年間通っていて顔も名前も知らない人ばかりなのはちょっと悲しい。
 割と早い段階で探していた人たちは見つかった。こんな顔なんだ~と思うくらいで、これといった感想は出てこない。フォロワーとのオフ会で、顔を知らない人と会うのに慣れているからか。まぁ普通の、無害そうな人たちだとわかって胸をなでおろしはしたが。
 思っていたより簡単に見つかったので、どうせなら自分の記録を探すことにした。撮られた記憶はないが、案外写真はのっていた。しかめっ面をしていたと思っていた修学旅行も、思いのほか楽しそうな顔で映っている。そんなだったか。見てもあんまり思い出せない。退屈だったことを記憶しやすいタイプなのかもしれない。
 思い出せないことばかりだ。楽しかったことは特に。目の前にある写真だけが当時の私の感情を知っている。晴れやかな笑顔にみえる。卑屈な人生だったと思っていた。でも、そうでもなかったのかも。自分が卑屈な記憶を選んでいるだけなのかも。楽しい記憶も選べたのかも。これからはそっちを選びたい、かも。少しずつでいいから。そういうことを考えてアルバムを閉じた。
 部屋の奥にしまい込むのが億劫だからといいわけして、今度は手をのばせばすぐ届く引き出しにアルバムをしまうことにする。ひとまずはここに置いておく。

 

 ちなみに個人写真の前髪はしっかり割れていた。

女は度胸なんて言われることもあるけど、結局みんな愛嬌のある女が好きだろ。
優しくする相手は選ばなくて、いつもニコニコしてて、そういうのが可愛らしくて許しちゃったりするんだろ。
深刻そうな女は綺麗じゃないもんな。
言われるたびに当てつけか何かですか?って思ってるよ。
羨ましいとか悔しいとか、あとそこまでじゃないけどやっぱり薄らと憎いなって気持ちもあるんだ。
でも私もニコッてされたら全部許しちゃうんだ。
悔しいね、惨めだよ。

遺体を長期保全する方法として、エンバーミングという技術があるらしい。
消毒や殺菌を行い臓器を取り除き、血液を排出するとともに防腐剤を注入する。
命が終わって徐々に腐敗していく肉体を生前のような姿にとどめておくための処置だ。
 日本は国土の狭さから火葬までの期間が短いためあまり普及していないらしいが、爺さんの火葬までは一週間。加えてこの猛暑である。腐敗は全ての有機物に平等に訪れる。冷蔵庫の中の肉ですら一週間もつか怪しい8月に、冷房とドライアイスで腐敗に抗えるほど人は生き物をやめてはいない。
頬がこけ、唇は紫色になり、ひどく冷たくなった爺さんを僕は送り出した。

 帰ってきた爺さんをみて、真っ先にもったのは違和感だった。
血色が良くなり、頬にもハリがある。
どこをみても明らかに、処置前よりも生き生きとしている。
それでもそれは爺さんではなかった。
生前の写真を業者に預ければそれに寄せてくれると葬儀屋が言っていたのを思い出す。
大抵の死は突然で、その上悲しみに暮れる間もなく次々と選択を迫られて、そこまで手が回らなかった。
処置を施した者は想像か、あるいはセンスを駆使してくれたのだろうと察する。
例えどんなに生前の爺さんに似ていても、きっと僕の脳は僅かな違いを察知するだろう。
いつか東京タワーでみた蝋人形を思い出す。
人間とは似つかない物質でつくられたあれらの方がよほど本物じみていた気がする。
心臓が止まってから徐々に、爺さんは爺さんから離れていった。
死とは、そういうものらしい。

 棺桶を花で埋めるときに触れたじいさんの硬くてひんやりとした手の感触がまだ指先に残っている。

紙とペンが好きだった。
ペン先が紙の上を滑ったり引っかかったりしながら、文字が紡がれていく。
便利じゃなくても別に良かった。
書いたときの感情が文字に残る、そういうところが好きだったはずだ。
ノートとペンを持ち歩くのをやめたのはいつだろうか。
残したい思い出も感情も、持ち合わせていないことに気がついたころかもしれない。
切り離したい内側は依然としてそこにあり、自分と繋がっていることを突き付けられるような気がして、吐き気がするようになった。
紙に滲んだ吐瀉物はトイレには流せない。
どうしようもなくなって火をつけた。
そうして私は書くことをやめた。

それが性懲りもなく、またこうして書いている。
無個性な活字を借りて喉を焼くような胃液を飲み下している。
活字に眩暈をおぼえたら、そのときは本当に潮時だと思う。
それまでにできるだけ遠くに、この心を捨ててこれたらいい。

 帰宅してテレビをつけると、なぜだか知らないけどいつもどのチャンネルまわしてもスポーツニュースしかやってない。
だから夕飯を食べながらぼんやりと野球の結果を見ながら夜を過ごすのが日課になっていた。
とはいえ熱心に見てるわけではないから、どこが勝ったとか誰がいいプレーをしたとかなんていうのは翌日には忘れているみたいな、それくらいの注目度。
強いて言うなら大谷がいつも活躍してて、村上は村神様ってことぐらいしか分からない。
そんなんだけどしっかりWBCを観てしまった。
周東の足の速さに度肝を抜かれたし、準決勝のサヨナラ2点タイムリーで叫んだ。
決勝ラウンド、現地の観客の9割がアメリカを応援する中で今永がマウンドに立った時に聞こえてきた「今永〜〜〜〜〜」という声援には胸を打たれた。本人に届いただろうか?ライブ中継先に聞こえるくらいだからきっと届いていると信じたい。
 あれだけの大舞台、完全アウェイのなかバッターボックスやマウンド立つ選手をおもう。
孤独な戦いではなかろうか。
ピッチャーとバッターが対峙する瞬間、2人だけの勝負のように感じる。誰もその球に関与できない。
一体どれだけの努力を重ねれば、それに耐えられるのだろう。
彼らはプレッシャーを感じないのではないかと思ってしまうほどのプレーだった。
本当に素晴らしかった。
 彼らのこれまでの努力に敬意を、偉大な功績に拍手を。
そして数々の感動に感謝を。
日本代表、ありがとう。

始発前の空は怖いくらいに黒い。

夏だったら明け方と呼ぶようなこの時間、今の季節は真夜中より純度の高い夜。

車でさえ少なくて、駅のホームで電車を待つ人はみんな口を真一文字に結んでいる。

あと何時間後かには街は浮かれきった面をさらすのだろうが、この瞬間はその全てを意に介さない。

平等な孤独が満ちている。

ここにいると振り切った冷たさは優しさなのだろうと思う。

私たちを傷つけるのはいつだって中途半端なものだ。どっちつかずの言葉ばかりを吐いているくせに。

それならばいっそのこと、一生口を噤んでしまおうか。

私の言葉は純度の高い夜に溶けてしまえばいい。

いつか行ってみたいとただ思うだけだった場所には、思いの外すんなり行ける。

死ぬまでにやってみたいとぼんやり夢想していたことは、ひょんなことから実現したりする。

そういう経験が立て続けに起こった。

非日常はやがて日常に成り代わる。

境界が曖昧になっていく。

日常だった部分が酷く空虚で仕方ない。

その叫びすら塗りつぶすように、新しい日常を詰め込むことしかできなかった。

刺激に鈍感になって、感情が麻痺していくのがわかる。

脳はただ情報を処理するだけで、心となりうる電気信号は送ってくれない。心は脳の信号だって話だったのに。

私はAIの下位互換か?型落ちもいいところだろ。

私を私たらしめるものが揺らいでいて、何もかもが偽物のように思えた。

 

来世は高性能アンドロイドになりたいな。