遺体を長期保全する方法として、エンバーミングという技術があるらしい。
消毒や殺菌を行い臓器を取り除き、血液を排出するとともに防腐剤を注入する。
命が終わって徐々に腐敗していく肉体を生前のような姿にとどめておくための処置だ。
 日本は国土の狭さから火葬までの期間が短いためあまり普及していないらしいが、爺さんの火葬までは一週間。加えてこの猛暑である。腐敗は全ての有機物に平等に訪れる。冷蔵庫の中の肉ですら一週間もつか怪しい8月に、冷房とドライアイスで腐敗に抗えるほど人は生き物をやめてはいない。
頬がこけ、唇は紫色になり、ひどく冷たくなった爺さんを僕は送り出した。

 帰ってきた爺さんをみて、真っ先にもったのは違和感だった。
血色が良くなり、頬にもハリがある。
どこをみても明らかに、処置前よりも生き生きとしている。
それでもそれは爺さんではなかった。
生前の写真を業者に預ければそれに寄せてくれると葬儀屋が言っていたのを思い出す。
大抵の死は突然で、その上悲しみに暮れる間もなく次々と選択を迫られて、そこまで手が回らなかった。
処置を施した者は想像か、あるいはセンスを駆使してくれたのだろうと察する。
例えどんなに生前の爺さんに似ていても、きっと僕の脳は僅かな違いを察知するだろう。
いつか東京タワーでみた蝋人形を思い出す。
人間とは似つかない物質でつくられたあれらの方がよほど本物じみていた気がする。
心臓が止まってから徐々に、爺さんは爺さんから離れていった。
死とは、そういうものらしい。

 棺桶を花で埋めるときに触れたじいさんの硬くてひんやりとした手の感触がまだ指先に残っている。